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2011年3月

2011年3月30日 (水)

安政の地震津波碑

  3月11日に発生した東日本大震災は、国内観測史上最大のマグニチュード9.0を記録し津波と火災では多くの被災者が出た。また、福島原発爆発などの発生で大きく被害が広がっている。
日本はこの震災から立ち直らなくてはならないし、この被害の大きさと悲しさは、阪神淡路大震災とともに後世に伝えていかなくてはならない。

関西にも東日本大震災と同じような津波の被害にあった歴史がある。大阪の大正駅の近く(京セラドームの近く)に安政の地震津波碑がある。

安政元年(1854年)11月4・5日に紀伊半島沖に震源をもつ大地震(推定マグニチュード8.4)と、その時の大津波の様子がかかれている、以前この現代語訳を読んだときは実感できなかったが、その内容は今回の大震災を大変似かよっている。

Photo

      安政の地震津波碑 大きな橋を渡ってすぐの歩道の中央にある。碑文は墨が入れられ今でも黒々としている。

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碑の横には大地震・津波の文字が黒々と書かれている。

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川の向こうには京セラドーム

碑文の一部を転記する。

「十一月四日午前八時ごろ、大地震が発生した。以前から恐れていたので、空き地に小屋を建て、年寄りや子供が多く避難していた。 地震が発生しても水の上なら安心だと小舟に乗って避難している人もいたところへ、翌日の五日午後四時ごろ、再び大地震が起こり、家々は崩れ落ち、火災が発生し、その恐ろしい様子がおさまった日暮れごろ、雷のような音とともに一斉に津波が押し寄せてきた。 安治川はもちろん、木津川の河口まで山のような大波が立ち、東堀まで約一・四メートルの深さの泥水が流れ込んだ。両川筋に停泊していた多くの大小の船の碇やとも綱は切れ、川の流れは逆流し、安治川橋、亀井橋、高橋、水分橋、黒金橋、日吉橋、汐見橋、幸橋、住吉橋、金屋橋などの橋は全て崩れ落ちてしまった。さらに、大きな道にまで溢れた水に慌てふためいて逃げ惑い、川に落ちた人もあった。」

「道頓堀川に架かる大黒橋では、大きな船が川の逆流により横転し川をせき止めたため、河口から押し流されてきた船を下敷きにして、その上に乗り上げてしまった。大黒橋から西の道頓堀川、松ヶ鼻までの木津川の、南北を貫く川筋は、一面あっという間に壊れた船の山ができ、川岸に作った小屋は流れてきた船によって壊され、その音や助けを求める人々の声が付近一帯に広がり、救助することもできず、多数の人々が犠牲となった。」

「津波というのは沖から波が来るというだけではなく、海辺近くの海底などから吹き上がってくることもあり、海辺の田畑にも泥水が吹き上がることもある。今回の地震で大和の古市では、池の水があふれ出し、家を数多く押し流したのも、これに似た現象なので、海辺や大きな川や池のそばに住む人は用心が必要である。 津波の勢いは、普通の高潮とは違うということを、今回被災した人々はよくわかっているが、十分心得ておきなさい。犠牲になられた方々のご冥福を祈り、つたない文章であるがここに記録しておくので、心ある人は時々碑文が読みやすいよう墨を入れ、伝えていってほしい。」

全文はここにあるhttp://www.city.osaka.lg.jp/naniwa/page/0000000848.html

この碑文によると安政元年(1854年)11月4・5日の大地震・津波だけでなく、宝永四年(1707年)10月4日にも大地震と津波の被害があったとの事である。
その間は約150年。けっして日本が大地震に襲われ、津波の被害に会うことはまれなことでは無い。今回の震災は決して未曾有のものではないのだ。

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